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中国旅行(湖南省張家界)2019/11/14(木)~18(月)

湖南省張家界は耕作適地が少ないこの場所で少数民族が細々と農業で暮らしていた地域だったが、20年前から観光開発を始め人口150万人の町になったという。



天子山観光 2019/11/15(金)

張家界からは40分間のバス、ロープウェイで天子山奇岩群の頂上まで行く。





焼き栗。10元。写真の5倍入っていた。食べ過ぎた。


ガイドの江(コウ)さんに先導されて進んでいると突然に江さんが「振り向いてください。何かおかしい景色ですよ」という。「分かりますか?」ともいう。そう言われないと現地でも何を見ているかが分からない。


少し拡大。赤い旗の後ろに人。





岩の高さは200mを超える。その奇岩群を上から見せる散策ルートが整備されている。
富士登山は頂上からの景色を求めるものだ。グランドキャニオンは上から見る景色が売り物だ。イグアスの悪魔の喉笛も滝の上から見る。スカイツリーや高いビルは上からの景色を見せるために展望台がある。
人は下から見上げる景観よりも上から見る景観が素晴らしいと思うものだ。
同じガイド(江)さんに案内してもらっていた誰かが「ここに来たら、桂林は行かなくて良い思った」と言った。南宋画の風景とはちょっと違うが似たものではある。




グランドキャニオンやハロン湾と同じ種類の奇観だが、こちらが一番だ。

下方は霧がかっている。




このような風景が延々と続く。今回の旅のピカ一。


切り立った奇岩が続く。眼下や岩上の木々は巨木だ。



奇岩間を繋ぐ散策道の橋。



橋から下を見る。


観光中に岩山上からスマホを落としてしまった人のために、スマホを拾う業者があるという。8000円~2万円。落とした場所によって違うのか、拾いに行くだけで8000円、見つかったら2万円なのかは聞きそびれた。下を見ても道は見えなかったから下を歩くのは大変だろう。そして落とした場所が明確だったり、真下に落ちていたり、コール音が鳴れば見つけやすいのだろうが、途中で木や岩に引っ掛かっているのもあるだろうから大変な仕事だ。





エレベータで散策道を下る。

中国では「この奇観はグローバルで戦える観光地だ」と思ったらこんな観光設備を整え、張家界の街、空港、高速道路、新幹線(建設中)まで作ってしまう。




天門山観光 2019/11/16(土)

張家界街中からのロープウェイは点検で運休だった。
代わりのロープウェイ乗り場からのシャトルバスで40分で穴の手前のバスターミナル(ロープウェイ乗降場)に着く。バスターミナルからは岩山の中をくりぬいて造ったエスカレ―ターを5回乗り換えて上の穴へ行く。元気のよい若者は999段の階段を登る。東京タワーは低い方の150m第一展望台までの階段は約600段だからそれよりは高いのだろうが1.5倍は無いように思えるな。また香川県の金毘羅さんは785段だ。個人所有の観光地。

春秋戦国時代(二千二~四百年前、秦が国家統一する前。中国では単に戦国時代という)に山が崩れて穴が開いた。

岩山に開いた穴だけでは集客力が小さいと考えたのだろう。右側の山頂裏にガラスの桟道を作った。

岩山の山頂近くなのに滝がジャアジャアと流れている。滝が本物かどうかをガイドさんへ聞いたら「本物」とのこと。雨が多い季節だかららしい。昨夜も降っていた。



穴から。バス停から約200mは登ってきている。


切り立った山頂近くの崖に作られたガラスの桟道。ここを通るために穴から岩山をくりぬいて造ったエスカレ―ターを7回乗り換えて山頂まで登る。バス乗降場からだと12回。標高1500m。ガラスを傷つけないようにスリッパを履く。


桟道を歩いたのは初めてだ。日本では切り立った崖は短く低いから桟道など不要だからなあ。
日本では三国志にある諸葛孔明が作らせた桟道が有名だが、桟道は中国ではよく見るものなのかなあ。






長さ60mのガラス桟道だが集客効果抜群だ。
動画

ガラス桟道歩行後の帰り道の写真。ガスっている。
帰りは山頂からエレベータ乗り場まで普通の散策道だ。

山頂を一周する散策道もある。


過去にはロシア軍戦闘機も穴をくぐった。下写真は入場券についてきた絵葉書。

撮影者の名前が書いてある。本物の写真なのか?まさかだね。


4時間のバス移動で鳳凰へ



鳳凰の夜景。






露天のおばさんからキワノを買う。初めてだ。

刺さっているのは太いストロー。歩き食いなのでストローで果肉をつぶしながら吸い込む。
甘くない。少し酸っぱい。美味くないのですぐ捨てた。10元/2つ。

ホテルに帰ってから移動中の高速道路サービスエリア内売店で購入のランブータンも食べる。これも甘くなくて美味くなかった。



鳳凰の街観光 2019/11/17(日)

こういう屋根の街に行きたかった。道は石畳だ。このあたりで採れる石という。
鳳凰は苗(ミャー)族の町だ。明、宋時代に多くの大将軍を輩出した土地という。



大雨が降ると2階屋根まで水に浸かる。その時の名残りか、外壁に小さな枯れ草や紙の断片が貼り付いていたりする。また、川に沿うように作られた下水管は支える柱が見えないが大丈夫なのかしらん。

住民はそのような場所だと知りながら家を建て生活する。
日本では今まで人が住んでいなかった川の氾濫水や雨水が集まる場所に住んでいる人が、五十年に一度の洪水被害にあうとテレビのコメンテータが「洪水を防ぐのが行政の仕事」との発言をするが、ここを見ると違和感を持つ。平坦で交通の便が良いが価格の安い土地には何がしかの理由があるものだ。
数か月前に大前研一が田園調布が木場より土地価格が何倍も高いのはおかしいと書いていたが、大正時代にあった大地震や空襲時の下町の被災を聞き、下町に多くの大震災や空襲被害者の慰霊碑があるのを知り、下町の地盤沈下により2階屋根が海抜0メートルとなったり、毎年起きていた洪水を新聞やテレビ報道で知っている国民は、現状の価格差はバランスが取れていると考える。
田山花袋は、安政大地震の反省として下町に作られた火除け地が、明治時代初期にはあったのに、いつの間にやら家が建ち始め関東大震災時には住宅密集地となったのがこの大震災で大量焼死を起こした原因だと記している。自分を含めた人が昔の惨事を忘れてしまう習性であるのを嘆いている。川岸では家や避難民が捨てた物が火炎を上げ、川中の川に飛び込んだ人達で立錐の余地もないところへ、火炎旋風で舞い上がった燃えた物が落ちてきたり火炎を上げる物が流れてきたと書いている。川中にいながら焼死した人が多かったと書いている。関東大震災  東京震災記(田山花袋) kindleフォーマット
上の鳳凰の川沿いの家写真から想像すると、家々が同時に轟轟と燃え上がり、空から火の粉が降り注ぐ様を想像すると写真を撮っているあたりの川中でも極めて危険だと思われる。

現代の建築は延焼に強くなったのだろうが、現代は大正以前には無かった海面より低い土地に大勢の人が住んでいる。堤防から川水、地下鉄駅や下水管から海水があふれ出る被害は考えられないのだろうか?関東大震災では背負ったり大八車に乗せた家財道具が道に放置され避難道を塞いだことが被害を大きくしたのだが、車やいつの間にやら高くなった建物が倒れ高台への避難道を塞ぐことは考えられないのだろうか?東日本大震災時のように海からの火災が広がることはないのだろうか?高台は避難民を収容できる十分な場所があるのだろうか?あったとしても関東大震災時の被服廠のような惨事が起きない環境なのだろうか?大震災時に惨事が起きる可能性があるならば公表されているのだろうか?民主党の菅直人元首相のようにフクシマ原発事故発生時に国民へ情報を隠ぺいし、収まってから「フクシマでは東日本に人が住めなくなった可能性があったのだぞ」と言うような災害時に現実から逃げてしまう卑怯者の政治家は次の関東大震災時には現れないのだろうか?外国の報道機関記者から「外国報道機関へはフクシマからの風向きを伝えながら国内報道機関にはフクシマからの風向きを隠した理由」を聞かれたら「国内報道機関から風向きを聞かれなかったから国内報道機関へは教えなかった」と言った国民へ必要な情報を伝えない枝野元官房長官のような人物はもう出ないのだろうか?米欧中などの海外テレビ放送局は一日中フクシマからの風向きを報道していたのに、スポーツニュースや普段と同じ天気予報や通常のニュースを流し続け、国民が一番知らねばならないフクシマから目を背けた報道を続けた国内のテレビ放送局は変わったのだろうか?福島の全社員を西日本へ避難させていながら「フクシマは心配ない」と報道し続けたNHKのような報道機関はないのだろうか?NHKは菅首相のように東日本に人が住めなくなるかもしれないという情報を入手していたから西日本へ社員を避難させたのだろうか?共産党を含めて政府による情報隠ぺいに協力したかのような対応をした日本の政党は変わったのだろうか?
いやいや関東大震災時にはパニックが起き地域の一般住民による避難民や朝鮮人の殺害が発生したが、東日本大震災時にはパニックは起きなかった。政府による国民への公開情報の選別が功を奏したとも思える。関東大震災時には裸足の避難民が足袋を盗んだからと自警団と自称した一般住民に暴行され殺されたのだ。腹を空かせた避難民が畑の大根を食ったからと竹槍の一般農民に突き殺されたのだ。避難民らしき人が道路から家中を窺ったように見えたとして一般住民に取り囲まれ蹴り殺されたのだ。お前は朝鮮人だからと家に押し入ってきた一般住民になぶり殺しにされたのだ。東京では被害に遭った地域全体に軍隊が入り警備にあたっていたが、地震直後の東京では被害に遭った地域全体に悪いことをした人、悪いことをしそうな人は殺してしまえという共通の認識を持った社会が出現したのだ。普通の一般住民が殺人に参加したのだ。地震直後には大根を食った人、悪いことをしそうな人が取り囲まれ血を流しなぶり殺される現場に居合わせても何も言えない社会が出来たのだ。誰も、そう警備に当たった兵隊たちでさえ一般住民による殺人を見ても見ぬふりをする社会が発生したのだ。田山花袋もそのような現場に居合わせても「この人は殺されるな」と思いながら黙って通り過ぎたのだ。
東日本大震災時にはそのようなパニックを起こさないための情報の選別には全行政、全報道機関、全政党が協力したのだろうか?そしてうまく国民を操作できたから、情報隠ぺいで政治家や報道機関、政党への批判が挙がっていないのだろうか?確かに東日本に人が住めなくなった可能性があった事実を隠した政府を批判する記事を見たことがない。反対にパニックや暴動を起こさなかった日本人を自賛する記事は多く報道されてきた。このことには当時の情報操作に当たった人々が権力の座についていることが感じられる。
関東大震災時に人々は火事から逃れるときに家財道具を大八車に乗せたが、東日本大震災時に人々は放射能から逃げる時に車を使おうとガソリンスタンドへ列を作った。人の習性や考えることは時代が変わっても同じなのだから、一般住民による被災者への暴行殺人があちこちで起きなかったのは情報操作がうまく行ったからだと政府や行政は自賛しているのかもしれない。
それにしても東日本に人が住めなくなったときに、日本は最悪でどうなっていたのだろうか?その時に情報を隠した事が良策となったのだろうか?このぐらいの検証は報道してほしいものだ。借金で家を建てた人がその場所が放射能で住めなくなった時に、その借金は誰が返済するのだろうか?徳政令はあるのだろうか?という情報を含めて取材してほしいな。まあ日本政府はMMTを行っていると言われているから、インフレ化を見込んだ返済不要という判断がなされるのだろうが、現時点で断言できる役人や政治家がいるのかだな。


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張家界に来る日本人は少ない。日本人旅行者は全て40才代以上で、60才代以上がほとんどだ。日本人より韓国人が多いのかもしれない。観光案内文は中国語と英語の2種のものが多いが、3番目が入るものは韓国語だからだ。日本人観光客のほうが韓国人より少ないならば仕方ないことだ。しかし、2015年に日本の一人当たりGDP(購買力)は韓国に抜かれたらしいので、お金を日本人は落とさなくなったのが理由ならば残念なことだ。

「世界の車窓から」を見ると桂林からハノイまでは石灰岩質の大地らしい。その真ん中が張家界だ。桂林も張家界もハロン湾も同じような風景だ。

中国ではシャワートイレが一般的と思っていたが、上海空港だけだった。

上海空港での国内線への乗り換えが分かりにくかった。transferの案内板を目指して歩いていたがいつの間にやら入国ゲートに行ってしまった。乗り換え時間は十分にあり入国ゲートの先に「transfer  …」の文字が見えたのでまあ一回出るかと思い、並んだ。最後列に並んでから何気なく振り向いたら後ろの壁にtransferの文字と矢印が見えた。少し戻って係員に聞いたら入国ゲート横の小さくdomestics airportの文字が書いてある通路を教えてくれた。

中国でも入国時は顔写真と指紋を照合される。最近の中国入国は2年前だったので、今回の上海空港で登録させられた。若いころのスキー転倒時の怪我でおかしな指紋がある指があるためか、私は何回もNGとなった。日本でも外国人の顔写真と指紋は入国時に取るのでそういう時代になったのだ。そういえば10年程前に、ハマスの指導者がイスラエルの暗殺者10人にドバイのホテルで殺されたことがあった。怒ったドバイの政府は彼らの全員の顔写真と数人の指紋を公開した。彼らが捕まったという話は聞かないから、まだ暗殺の仕事をしているのだろうか?彼らは家族にはどんな仕事だと説明しているのだろうか?日本にも、そのような仕事をするお役人がいるのだろうな。

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